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<title>いろいろ思うこと</title>
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<title>消えゆく媒介者</title>
<description> 阿蘇に住む友人の紹介にて、「消えゆく媒介者」というキーワードを知る。スラヴォイ・ジジェク　という哲学者が、フレドリック・ジェイムソンの論文「消えゆく媒介者－物語作家としてのマックス・ウェーバー」から借用しているそうだ。事例で紹介されているのは、封建主義が資本主義に変わるにあたって、プロテスタンティズムという存在が必要であった、ということだそうだ。封建主義から資本主義にそのまま変容することはできない
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<![CDATA[ 阿蘇に住む友人の紹介にて、「消えゆく媒介者」というキーワードを知る。<br /><br />スラヴォイ・ジジェク　という哲学者が、フレドリック・ジェイムソンの論文「消えゆく媒介者－物語作家としてのマックス・ウェーバー」から借用しているそうだ。<br />事例で紹介されているのは、<br />封建主義が資本主義に変わるにあたって、プロテスタンティズムという存在が必要であった、ということだそうだ。封建主義から資本主義にそのまま変容することはできない。封建主義社会においてプロテスタンティズムが宗教を普遍化し、労働の領域を影響下に取り込み、富を蓄積し、勤勉に働き、禁欲的に生きるよう人々を促した。その結果、プロテスタンティズムは資本主義出現の条件を作り出し、皮肉なことに、資本主義の出現は一般的宗教の、とりわけプロテスタンティズムの衰退を促した…ということだそうだ。<br />消えゆく媒介者は「ふたつの対立概念間の移動を媒介し、その後消滅する概念」と説明されている。また、「別の方法では互いに両立しないふたつの事項間の交流を可能にするという触媒作用なのである」としている。<br /><br />友人の議論では、まちづくりにおける専門家の役割、都市農村交流における都市住民、インターン生の役割をこの概念によって説明できるのではないか、とのこと。<br />確かにそうかもしれないと思いつつも、まちづくりにおける専門家の役割については、かねてから議論されてきている。都市住民の役割については、「風と土」論で説明できるし、インターン生の役割については、先日まとめた論文で説明できる。<br />あえて難解な（にみえる）用語で説明する必要があるのか、疑問であった。<br /><br />半信半疑のまま、紹介してもらった本をひもとくと、友人との議論を超えて、都市農村交流<u>自体</u>が、「消えゆく媒介者」なのではないかという気がしてきた。<br />地方、地域、農村、いろんな言い方はできるけれども、人口が減少し、人を呼び込む雇用の場、産業もなく、税金で人々の暮らしを支えている状況。税金を入れる意義はなくはないと思うけれども、人が減り続けるという展望が現実的。<br />でも、そうしたなかで、少しでも未来を展望しようと、ツーリズム、交流人口、などのキーワードで説明されるような都市農村交流が生まれてきているのではないか。さらに、就農者、20代、30代が増えてきているそうだ。若い人が農村二回帰し始めているといわれつつある。<br /><br />そして、こうした流れが地に着いたものになり、きちんと山や里での暮らしが確立できるようになれば、「都市農村交流」、「ツーリズム」といった、「生活の切り売り」をするような暮らしの建て方は必要なくなる。<br />でも、きちんと暮らしが立てられるような価値を人々が認識するためには、都市農村交流のような価値の交換が欠かせないのではないか。<br /><br />そういう過渡期に都市農村交流はあること、あるいは交流人口と呼ばれる地域づくりの先にあるもの、を「消えゆく媒介者」というのは教えてくれているように思う。<br /><br /><hr size="1" /><br />参考）トニー・マイヤーズ（村山敏勝他訳）：シリーズ現代思想ガイドブック　スラヴォイ・ジジェク、青土社、2005 ]]>
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<dc:subject>つれづれ</dc:subject>
<dc:date>2009-07-28T12:06:15+09:00</dc:date>
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<title>うつろなるところ</title>
<description> 大学を通じてとある自治体の市民会議的な場所にお邪魔している。1年間を振り返って思うことは、いかにうつろな場所であったのかということだ。舞台を設定した自治体の側に何の戦略もない。なんのための舞台設定だったのか、参加者は最後までわからず。担当者も、目的設定の努力はあったと聞いているが、結局、最後は骨抜け。その舞台を撤収する意志決定もない。ただ、意見を言い、ただ意見を承る場所。自治体としての見識が疑われ
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<![CDATA[ 大学を通じてとある自治体の市民会議的な場所にお邪魔している。<br />1年間を振り返って思うことは、いかにうつろな場所であったのかということだ。<br /><br />舞台を設定した自治体の側に何の戦略もない。<br />なんのための舞台設定だったのか、参加者は最後までわからず。<br />担当者も、目的設定の努力はあったと聞いているが、結局、最後は骨抜け。<br />その舞台を撤収する意志決定もない。<br />ただ、意見を言い、ただ意見を承る場所。<br /><br />自治体としての見識が疑われる、と思うのだが。<br />そうした場が、再生産され続けている。<br />どう関わっていいのか、ただただうつろな場をのぞき込むばかりである。 ]]>
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<dc:subject>つれづれ</dc:subject>
<dc:date>2009-03-03T17:00:43+09:00</dc:date>
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<title>集落支援員シンポジウム</title>
<description> 先日、中山間地域フォーラム主催の集落支援員シンポジウムに参加。集落支援についてのあまりの手放し礼賛ぶりに恐れおののく。交流事業や、地域づくりに詳しい方々によってプログラムデザインされていたはずだと思うのだが、あれから数日すっきりしない思いを抱えている。ということで、久々に投稿。プログラムは，１）総務省地域力創造審議官により、概要説明。ただ、事業ではなく、活動を応援するもの，との説明２）農文協　甲斐
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<![CDATA[ 先日、中山間地域フォーラム主催の<a href="http://www.chusankan-f.net/simpo090229.html" target="_blank" title="集落支援員シンポジウム">集落支援員シンポジウム</a>に参加。<br />集落支援についてのあまりの手放し礼賛ぶりに恐れおののく。<br /><br />交流事業や、地域づくりに詳しい方々によってプログラムデザインされていたはずだと思うのだが、あれから数日すっきりしない思いを抱えている。<br />ということで、久々に投稿。<br /><br /><br />プログラムは，<br />１）総務省地域力創造審議官により、概要説明。ただ、事業ではなく、活動を応援するもの，との説明<br />２）農文協　甲斐氏より、地域に入る若者の取り組み紹介<br />３）実践報告として、島根県里山プランナー皆田氏、杉崎くん、地球緑化センターの事務局次長金井氏、その受け入れの吉本氏<br />４）実践報告者と図司先生でPD<br />という内容。<br /><br />総務省の説明の時には？？という状況だったのだが，終了に近づくにつれて、ふつふつともやっとした思いがわき出てきた。<br /><br />友人とメールで感想を交換したのだが、がっつり書いたので，少し再構成してここにまとめておく。<br /><hr size="1" /><br />基本的には集落支援員なるものの取り組み自体は積極的に評価したい。地域づくりインターン事業との連携（事業的にも：同時に受け入れたり、人材的にも：インターン卒業生→支援員、杉崎くんみたいに）ができたりしたら、相当面白いことができるのではないか。<br /><br />その期待がある分、礼賛だけの時期はもう過ぎてしまっているのではないのかとの思いを持った。<br /><br />１）事業のデザイン<br />インターン事業、続けることが大事、と当初から語られてきたし，自分自身もそう語ってきた。しかしながら、インターン事業が始まって10年、ずっと寄り添ってきたが，最近思うのは、続けりゃいいってもんじゃない、ということ。<br /><br />ここでも何度となく触れているが、受け入れ側の事業デザイン（担当者の考え方、それを支える位置づけの有無、担当者を支える上司、首長などなど）につきると思う。<br /><br />インターンにしても，支援員にしても、あくまでも地域づくりのためのツールだから、どういう目的でこうした外部人材を活用した事業を「使おう」としているのか、という地域づくりの目標に応じた課題設定が欠かせない。<br /><br />こうした課題設定が明確にできている地域は，インターン生自身の地域での位置づけが認識できる（居場所がはっきりする）ためか、インターン生も非常に満足げに帰ってくる。<br />しかし、とにかくやってみる、うちはフィールドを提供するだけ，活動はインターン生にお任せする、というスタンスの地域もある。事業の発展段階のうちに、そうした段階はあってもよいと思うが，それだけでは、そうした地域から帰ってくるインターン生の表情は曇りがちである。<br /><br />インターン事業にしろ、集落支援にしろ、どうして外部人材を活用しようと思うのか，外部人材を活用して地域をどうよくしていきたいのか、というストーリーなしに受け入れても、仕方ない。<br />○○とはさみは…ともよくいうけれども、紙を手軽に切る、曲線を切るという目的にはさみは適しているのであって、とにかくはさみを使ってみる、まっすぐな線を切る、はさみの自主性に任せてみる、という議論は成り立たないはずなのではと思う。<br /><br />自戒を込めてだが、支援したい外部人材はたくさんいるが，聞こえてくるのは支援したい人たちの声ばかりで、それを受け入れる側の準備、または受け入れるために必要なこと、ツールの使い方といった議論がもっとされてしかるべきだと思う。<br /><br /><br />２）事業評価<br />友人から、事業評価が早晩課題になるだろうとの指摘を受けた。<br />そのとおりで、インターン事業も，「評価」が必要だとかねてから叫ばれているし，国の方でも評価の取り組みが始まろうとしている。<br />友人と一緒にやっている研究会も，当初はインターン事業の事業評価を標榜していた。しかし、評価指標をつくろうとすれば、結局、インターン事業って何なのよっていうそもそも論をクリアーせずには評価指標の設定ができない。<br /><br />研究会で、議論、紆余曲折があったが、現時点では，強みと弱みの両面から事業主旨をわかりやすく表現する枠組みの開発に至っている。結果としてわかったことだが、宮口先生がいうところの「交流の価値」というのが、わかりやすく表現できているのではないかと思うし、また、実は評価のツールとしても使えるだろうと思っている。<br /><br />…今回のシンポジウムにあるような支援員の場合は，稲垣さんが質問されていたように，「支援」と名前がついてしまっている分、その射程をどう設定するのかが、議論になると思われる。また、「誰が」その射程を設定するのかというのも、本当は大事なところではないかと思う。<br /><br />インターン事業の場合は、外部人材の支援、事業後の移住、いろいろな可能性が期待がされているが，上記の枠組みでは、それらは事業の本旨ではないと、ばっさり切り捨てている。<br />波及効果として、そうしたものも想定されるが，まずは最低限の本質をとらえる枠組みの設定が必要になってくるのではないか，とすると、やはり、支援員ってなんなのだろう、という話になる気がしている。<br /><br />インターン事業に寄り添ってきた、私（たち）から見れば、「異なる二者の交流による価値の創出」ということになるのだろうと思っているが、「支援」という名がついてしまっている分、なかなかそれでは落ち着かなくなるのではないかと思っている。<br /><br /><br />３）制度ではないっていうけれど<br />総務省の担当者は，制度ではないといい、PDでは、制度でもなく、仕組みといわれる、「取り組み活動の応援」、と表現されたが、よくいえば、地域の自主性、地域の知恵を大事にしたいという思いの表れと思うが、うがってみれば、事業デザインの丸投げとうつる。<br /><br />受け入れ地域側のデザインもさることながら、「応援」の企画者の意図も曖昧なままで、インターン事業をとにかくやってみるんだというスタンスに近いものを感じる。<br />本当に、効果的な「応援」が展開されるのであろうか。もちろん、一部の地域では効果的な展開が見られると思う。しかしながら、過剰な期待を抱える地域と、何をしていいのか地域の中でたたずむ支援員、というインターン事業を辞めていった地域で多く見られた光景が目に浮かぶ、というのは言い過ぎであろうか。<br /><br />とにかく実験をしてみればいいという思い切りの良さは、こうした時代には必要な姿勢でしょうが、計画をする，考える立場にたてば、きちんと方針を立てて，枠組みを作ることがまず大事で、事業を展開していく中で，評価、柔軟に改善、修正していくということが次に求められるのだと思う。<br /><br /><br />以上のような点にたてば、先日のシンポの読後感といったらいいのか、会場を後にする思いは，非常に割り切れないもやもやした思いでいっぱいであったのである。<br /><br />逆説的にであるが、いろいろと取り組むべき課題が見えてきたという点が成果、なのかもしれない。<br /><br /> ]]>
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<dc:subject>つれづれ</dc:subject>
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<title>いいことを書いているオレ</title>
<description> 今日、九州にいる元気な先輩と電話で話をする。当ブログが話題になり、はたとこのブログの存在を思い出す。閲覧制限をかけている日記的ブログ（日に1-2回ぐらいのペース）ばかりが頭にあったので、こちらの存在をすっかり忘れていた。今、読み返してみると、意外といいこと書いている、オレ。自画自賛。
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<![CDATA[ 今日、九州にいる元気な先輩と電話で話をする。<br />当ブログが話題になり、はたとこのブログの存在を思い出す。<br /><br />閲覧制限をかけている日記的ブログ（日に1-2回ぐらいのペース）ばかりが頭にあったので、こちらの存在をすっかり忘れていた。<br /><br />今、読み返してみると、意外といいこと書いている、オレ。<br /><br />自画自賛。 ]]>
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<dc:subject>つれづれ</dc:subject>
<dc:date>2009-01-27T12:57:42+09:00</dc:date>
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<title>食べると言うこと</title>
<description> たまにはこちらにも。今年に入ってから、というかここ1ヶ月ぐらい、食に関する映画ばかり見ているような気がする。ポレポレ東中野でやっていた「人間の街　－大阪・被差別部落－」「いのちの食べ方」”OUR DAIRY BREAD”「満山紅柿」それから、アテネ・フランセでやっていた「肉」”MEET”なんかをみた。「満山紅柿」以外、どれも牛や羊や鳥が、つり下げられて切り刻まれる（ばかりではないけど）映画だ。生き物を、ものに変えていく圧倒
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<![CDATA[ たまにはこちらにも。<br /><br />今年に入ってから、というかここ1ヶ月ぐらい、食に関する映画ばかり見ているような気がする。<br /><br />ポレポレ東中野でやっていた<br />「<a href="http://www.cine.co.jp/php/detail.php?siglo_info_seq=31" target="_blank" title="人間の街　－大阪・被差別部落－">人間の街　－大阪・被差別部落－</a>」<br />「<a href="http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/" target="_blank" title="いのちの食べ方">いのちの食べ方</a>」”OUR DAIRY BREAD”<br />「<a href="http://tokoton-ogawa.txt-nifty.com/blog/2004/01/post_24.html" target="_blank" title="満山紅柿">満山紅柿</a>」<br />それから、アテネ・フランセでやっていた<br />「<a href="http://www.cinema-today.net/0411/05p.html" target="_blank" title="肉">肉</a>」”MEET”<br />なんかをみた。<br /><br />「満山紅柿」以外、どれも牛や羊や鳥が、つり下げられて切り刻まれる（ばかりではないけど）映画だ。<br />生き物を、ものに変えていく圧倒的なエネルギーがどのシーンにも淡々と描かれている。<br />どの場面においても、物質を情報に変換するのに、多くのコストがかかっていること、あるいは、渋柿ができてくる過程もふくめて、まさにその変換作業が「営み」なんだなぁと、改めて思ったりする。<br /><br />また、立川の町歩きでであった<a href="http://www.genkisushi.co.jp/index.php" target="_blank" title="すしおんど">すしおんど</a>。<br />この貧しさといったら。本当に、びっくりした。<br />人がものを食べる時に、人の手が入っていることに対する満足感と欲求がこれほどかと、四角いシャリと、解凍しきっていないぺらぺらのネタが乗ったすしを食べながら思った。<br /><br />ということで、最近思ったことをつれづれに。 ]]>
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<dc:date>2008-03-07T15:55:17+09:00</dc:date>
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